2009年07月03日

世界の塩事情

 人類の生存に塩は欠かせないことから、塩の歴史は人類の歴史とともに始まったといえます。古代エジプト人が天然塩の採集から、干潟に簡単な溝を設け、天日塩田の祖型ともいえる方法に到達したであろうことは十分に想像されますが、確証はありません。バビロニアでは塩泉、塩井等から得た塩水を天日で結晶させたといわれています。地中海東部のフェニキア人が、海運、交易で活躍したのは、紀元前12~6世紀のことです。彼らは死海付近の岩塩のみならず、はるか2000マイル離れたスペインの岩塩床から塩を採掘し、またカヂスの天日塩を積み出して地中海沿岸に売りさばきました。スペインのカヂスは地中海から大西洋に出てすぐのところにあります。近くのサンフェルナンドに水深が浅く口が狭い湾があり、この湾全体が天然の塩田となっていました。狭い湾口を春締め切っておくと、夏期の太陽熱によって蒸発し、やがて塩の析出がはじまります。古来サンフェルナンドのソルトパンといわれ、天然の天日塩田です。フェニキアおよび古代ローマ人は、ここから乾魚や塩漬魚とともに、塩を積み出したのです。

 地中海沿岸の気候は降水量が少なく、とくに夏期雨が少ないので天日製塩に適しており、現在でも各所に天日塩田があります。この地中海の真中に突出したイタリア半島では、ローマに近いコルネトー・タルキニアにおいて、古来海水を放置し天日を利用して製塩を行ってきたが、その品質はよくありませんでした。ローマ市4代目の王アンクス・マルキウスはその改善をはかって、ティベル河口のオスティアに塩田をつくり、さらにローマまで道路を建設したのが、紀元前630年頃と伝えられています。この道路を塩道路といいます。後にローマ帝国の版図の拡大にともなって、塩輸送のための道路も拡張され、国内の主要都市はもちろん、中央ヨーロッパから今のイギリスにまで達しました。これらの道路の建設や警備にはローマの兵士が当たり、また兵士の給料は塩で支払われました。今日のサラリーという語はラテン語のsalariumに由来しています。オーストリアのウィーンの西北、サルツブルグは、現在岩塩の産出で著名である。その近くのハルシュタット(ケルト語で塩の場所を意味する)では、紀元前1000~500年頃岩塩の採掘が盛んに行われ、塩の交易を通して中部ヨーロッパの文化の一中心地でした。

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